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第一百三十四段

名段摘录:徒然草与方丈记(中日双语)

原文賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。かたち醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙つたなきをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知しらねば、まして、外の譏りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、やがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる。行おこなひおろかなりと知らば、何ぞ、茲を思ふこと茲にあらざる。 すべて、人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。かたち見にくゝ、心おくれにして出いで仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の芸を持ちて堪能の座に列り、雲の頭を頂きて盛さかりなる人に並び、況んや、及ばざる事を望み、叶はぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今こゝに来れりと、確かに知らざればなり。

现代语译頭が良さそうな人でも、他人の詮索ばかりに忙しく、自分の事は何も知らないようだ。自分の事さえ知らないのに、他人の事など分かるわけもない。だから、自分の分際を知る人こそ、世の中の仕組みを理解している人と呼ぶべきだ。普通は、自分が不細工なのも知らず、心が腐っているのも知らず、腕前が中途半端なのも知らず、福引きのハズレ玉と同じ存在だということも知らず、年老いていくことも知らず、いつか病気になることも知らず、死が目の前に迫っていることも知らず、修行が足りないことにも気がついていない。自分の欠点も知らないのだから、人から馬鹿にされても気がつかないだろう。しかし、顔や体は鏡に映る。年齢は数えれば分かる。だから、自分を全く知らないわけでもない。だが、手の施しようが無いのだから、知らないのと同じなのだ。「整形手術をしろ」とか「若作りしろ」と言っているのではない。「自分はもう駄目だ」と悟ったら、なぜ、世を捨てないのか。老いぼれたら、なぜ、老人ホームで放心しないのか。「気合いの入っていない人生だった」と後悔したら、なぜ、それを深く追及しないのか。  全てにおいて人気者でもないのに人混みにまみれるのは、恥ずかしいことである。多くの人は無様な姿をさらして節操もなく表舞台に立ったり、薄っぺらな教養を持ってして学者の真似をしたり、中途半端な腕前で熟練の職人の仲間入りをしたり、鰯雲のような白髪頭をして若者に混ざり肩を並べたりしている。それだけで足りないのか、あり得ないことを期待し、出来ないことを妄想し、叶わない夢を待ちわびて、人の目を気にして恐れ、媚びへつらうのは、他人から受ける恥ではない。意味もなく欲張る気持ちに流されて、自ら進んでかく恥なのだ。欲望が止まらないのは、命が終わってしまうという大事件が、もうそこまでやって来ていることを身に染みて感じていない証拠である。

中译往往看起来很聪明的人,总是善于揣摩别人,却不了解自己。但若连自己都不了解,怎么能揣摩透别人呢?因此,只有了解自己的人,才能理解世间万物。不知道自己丑陋,不知道自己愚笨,不知道自己无才,不知道自己卑微,不知道自己体弱,不知道自己疾病缠身,不知道自己时日不多,也不知道自己修行还远远不够。自己身上这么多缺点都不了解,别人为什么指责自己就更无从而知了。不过,容貌是在镜子里能看到的,年龄的增长也是可以数出来的,这些其实都是能够自知的。但是知道后却无动于衷,没有作为,就和不知道是一样的了。所谓作为,并不是把容貌变俊俏,减龄使自己变年轻,而是说,既然知道了容貌丑陋,为什么不引身而退?既然知道了年老体衰,为什么不静心养身呢?不受人欢迎,却喜欢与人交际,真是羞耻。相貌丑陋,没有头脑却出仕当官,没有才学却喜欢和博学大家交往,手艺拙劣却喜欢和能工巧匠同席而坐,白发苍苍却喜欢和年轻人比肩,企图得不到的东西,做力所不能及的事情,期待不可能到来的机遇,对他人畏惧或者谄媚。如此这些,正是由于自己的贪心所带来的耻辱。贪心不止,终究还是不明白死期就在眼前的缘故。

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